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他の誰かになろうとしない事

他の誰かになろうとしない事
他の誰かにしようとしない事

当たり前の事なんだけど、ほかの誰かになろうとしたって、なれないんだよね。場合によっては、物語の中の登場人物と比較して、ほかの誰かになろうとする。

それで発奮して自分を良くしていこうとするのなら原動力になっていいんだろうけど、大抵は自信のないやつが、ほかの誰かになろうとするから、行きつく先は

「ああ、あいつはあんなにやれているのに、どうして俺は…」

となる。この時に自分を改善するために色々試すならまだマシだけど、自分の生い立ちとか憐れみ始めるともう終わり。心がドゥンドゥン引きこもりみたいになってくる。被害妄想になってくる。

「社会が悪いんだ」

とかね。僕なんかクッソエロかったので、自分と、クソエロ漫画ANGELの「熱海康介」と比較してた。ホントにクソ野郎だったよ。中学生か!!

特に当時はヤリたい盛りだったんで、あの本を読んでいた中学生の自分は、女子とは簡単にセックスできると思ってた。

実際に、周囲のヤンキーとか話をすると、誰々とやっただの、そういう話をしてくれるので、そんなもんかーとか思ってた。

漫画の中も、周りの奴も簡単にセックスしてる。俺もできると思ってた。でも現実はどうだろう…まったくもって相手にされません。勇気を出して告白してもごめんなさい。そりゃあスケベ心が前面に出とるんだから当たり前なんだが、当時の俺には理解できなかった。

そうなるとどういう思考に陥ると思う?もっと自分を磨こう?カッコよくなる努力をしよう?そう考えられればまだ救いはあったんだろうけどね。

まず自分を恨んだし、チビでブッサイクな遺伝子を注入した親まで恨んだよ。そしてそれだけでは飽き足らず、モテている奴や、イチャついている奴らを憎み始めたよ。

何なんだこいつらは、俺がこんなに悩んでいるのにいちゃつきおって…滅ぼしてやる!!なんてね。そんな感じで高校時代くらいまで過ごしてたよ。ただ、それでも女子にいいところは見せたくて、体育祭のために走る練習をしたり、体を鍛えたりしていた。

頑張ってれば誰かが見ていてくれてると思っていたよ。全くそんなことはないんだけどな。

高校を卒業したあたりから、だんだん何かが間違っていると気づき始める。が、何が間違っているのかは分からないから空回り。大学時代に、とある女子(同級生ではない)に告白したのだがそこでまたフラれた。一応色々と手順(飯食いにいったり遊びにいったり)を踏んだうえで告白したがフラれた。

このあたりからおかしくなり始めたんだが、どこか無気力になった。一応大学では勉強をこなし、課題をこなし、ボクシングをやってた。でもどこか空虚だった。こんな生き方で将来楽しいのだろうかと…

そんな感じで生きているところに、さらに追い打ちをかけるように、卒研ができあがらず、さらには就職もできなくて、

「ああ、自分ってダメ人間だったんだな」

と変に悟ってしまう。何に対しても諦めがちになってしまう。今考えるとそれほどダメでもなかったんだけどね。分かってくれない社会に対する怒りとかではなく、自分を卑下することで「自分」ってのを保ってたんだ。

自分は無価値な人間だから死んだ方がいいけど、どっかしら希望があるとか思ってて、死ねなかった。

何をやっていいか分からないから、CADのバイトしながら稚拙なCG作ったりCG検定の1級を受験してたりしてた。世の中に貢献できないなら、適当にバイトして食いつなごうと。

自分で何ができるのか分からないから、オタクたちの集まりに行ったりして、自分の居場所を探してた。でもなんか違うとかも思ってた。とはいえ、同じような感じでダメっぽい連中とつるむようになって、それはそれで居心地よかった。

でも「これはあかんな」と思ってた。思いつつ、自分程度にはこれが相応しいのだとか思ってた。昔の全能感はどこへ行ってしまったのだろう。

28歳のときに某ゲーム会社に拾ってもらわなかったら、たぶん相当にみじめな事になっていただろう。別に就職できたことが良かったのではなく、やっと他人に認められて、自己肯定を思い出したからだ。

再び自己肯定を思い出したとき、「他の誰かになろう」っていう気持ちは無くなってた。なんとなくで続けてきたボクシングやその他の趣味や習慣が、「ああ、こんな特性を持っているのは俺しかいないじゃん」って思わせてくれた。

良かった。
しかしある意味遅すぎた。
自己否定ばかりしてて、女性に近づかなかったため、どう接していいのか分からなくなっていた。未だにそうなんだが、良く分からん。

長々と書いたけど、今、思い返すと「他の誰かになろう」って思ったのがそもそもの間違いだったのだろう。中高のときは仕方ないのかもしれないが、それ以降に引きずるようなものではなかった。
ずーっと「どうして俺はモテたいって思うのだろう」と考えてた。いや、ヤリたいだけなんだけど、それ以上のもの…つまり「カッコいい誰か」の象徴だったのよね。本当はモテたいわけじゃなかった。モテたら別の誰かになれると思ってただけ。

たぶん、仮にモテたとしても、別の不満と悩みができてたんだろう。自分が本当にやりたいことだけやってればよかったのだ。

だけど、「やりたいことだけやる」ってのも難しい、周囲の邪魔が入る。いや、それは学校とかじゃなくて同級生かもしれないし、親かもしれないし、とにかくほかの価値観を日常的にぶち込んでくる。

言っておくが、ダメになる方向に「やりたいことだやる」は矯正しなきゃならんと思う。だってそうだろ?毎日オナニーだけやる奴はダメでしょ?

基本的に依存性のあるものと、犯罪的行為をやるのは止めなきゃだけど、それ以外は好きにさせとけばいいと思う。

才能がなくても、本人が楽しんでやってるならやらせるべきだし、他人がどうこう言ってはいけない。何故ならそいつの人生全て責任が持てる奴はそいつしかいないのだから。

親とかセンセーは自分の価値観だけで、ガキのやる事を規制したくなるが、そこは一旦こらえて、しばらく見守ってはどうかと思う。いやさっきも書いたけど、毎日エロゲーやってオナニー三昧なのは止めるべきだが…その辺の線引きは難しいかもしれんが、「才能ないからやめとけや」だけは言ってやるなよ絶対に。

あと、「隣の○○くんはできるのに…」みたないのもいうなよ!!それはてめえの息子をほかの誰かにしようとする事だ。愚かすぎるぞ。

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