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中毒(依存)に気づいた時

中毒(依存)に気づいた時

とあることから僕は自分がインターネット中毒になっていることを自覚した。多分、周りから見れば、スマホもやってないし、仕事中にネットサーフィンもしていないし、暇な時もプログラミングか運動をしている。

どちらかと言うと「ストイック」と呼ばれることが多い。

ただ、ここ数年、僕は年初に立てた抱負というか、誓いというか、計画というか、そういうものがほとんど達成できていなかった。それまではそれなりに達成していたし、自分の成長も実感できていたというのに…。

昨年の夏ごろに、ツールとしてHabiticaとねこタイムを使用してある程度の改善が図れたが、いつの間にか戻ってしまっていた。

これは「いつの間にか」だったので気が付かなかった。Habiticaが「1日のタスク一時持ち越し」みたいな機能をつけてからは、もはやHabiticaも大して役に立たなくなった。モチロンHabiticaのせいじゃないことは僕も分かっている。

今思えば、「頑張ろう」の誓いがしれっと破れるのは、仕事で大きなストレスがかかったり、体の一部に不調が出たり、将来の不安が頭をもたげてきたときとかに発生していたようだ。

で、しばらく前から書いている事でもあるが、僕は今の仕事を辞めてしまいたいと思っているのだが、ずるずると続けている。別に経済的な理由に恐れがあるわけではなく、ただ単に現状を変えるのが面倒なだけだろう。そういうのもストレスになっているのだ。

あと、気が付くと、クリエイティブなことを自宅ではほとんどやらなくなったかな。いや、ぷちコンなどのたびにゲームを作ったりしてはいるけど、自分的には「クリエイティブ」と思えていない。

Pixivへの投稿もしなくなって3年くらい経つし、あんなに嬉々として投稿していた期間がウソのようだ。

英語の勉強もね。

そして、これができないことをすべて仕事の忙しさのせいにしてたけど、本当にそうなのだろうか…。いや、一部はそうなんだろうけど、情熱が薄れてきているのを感じる。

そしてそのことに対する、自分に対する罪悪感。

そして罪悪感は依存症を生む。これが最初に書いた「インターネット依存」の事なのだけれども、自覚したのは昨日のあることがきっかけだった。

夕方ごろ、自転車でウロウロしてたら、久々にうどんを食いたくなり、肉肉うどんに入り、うどんを食べていると、非常に人間的にアカン匂いのする男(比喩です。要はクズ野郎ってのがなんとなく分かる奴ってこと)が入ってきて僕の隣に座った。

横柄な感じで注文するとずーっとスマホをいじっていた。ちらっと見たところSNSとゲームを行ったり来たりずーっとしていた。まぁ、よくある光景ではある。

ところが僕が驚いたのは、うどんが彼の元に運ばれて、彼がうどんをすすり始めてからだ。

彼はうどんをすすりつつも、顔をスマホに向けて、一切うどんを見ていないのだ。右手はうどんをすすり、左手はスマホを操作しているのだ。うどんを一瞥もしないのだ!!!!

それを見てしまった僕の思考の中には「依存」「中毒」という言葉が浮かんでしまった。ちなみにうどんは美味しかったです。生姜をいっぱい入れて温まりました。

さて、そのまま家に帰って、PCの電源をぷちっと…。そしていつものサイトをいつもの順番通りに見て…とここで気づいた。

ルーチーン…

routine...自動化された行為…習慣…

ちなみに流れは「PCの電源を入れる」→「メールチェック」→「Febeのお買い得情報を見る」→「Kindle本一日割引チェック」→「Facebook」→「Twitter」→「ニコ動」「哲学ニュース」「SCP巡り」

という流れだ。一度この流れに入るとかなりの時間を消費する…というか寝る直前まで消費する…というか、これをやってたら眠くなってしまう。つまり入眠儀式的な感じになっているのだ。ちなみに昼間にこのルーチーンをやってしまうと、いつの間にか居眠りしてしまう。

何一つ生産的な活動ではないことにかなりの時間を浪費…空費してしまうのだ。

所謂「プロセス依存であることを自覚した。

さて、薄々は分かっていたのだけれども、はっきりと自覚してしまった以上は何らかの対応をしたいと思う。少なくともHabiticaに登録した日課を毎日やってのける程度には…改善した方がいいだろう。

ここで「●●せねばならない」的な言い回しにしないのには理由があって、義務感が出ると、そこにセロトニンだのなんだのを消費してしまい、また依存しやすくなるので、ちょっとゆるめで「自分の願望」という事にする。

一応、失敗から学んではいるのだ。

さて、という事で、本日土曜はお休みだったのだが、朝からPCをつけないことに決めた。少なくとも今日は日課をすますまではPCをつけないとした。

そうすると、1日で1冊(400ページ余り)の本を読了し、散らかっていた部屋がそれなりに片付き、筋トレも予定通り行えた。

ルーチーンの一番最初をストップしたのが効果的だったようだ。だが、僕のクリエイティブ活動というのは、このブログもそうなんだけれどもPCを使ったりインターネットにつなぐことで成り立つものも多い。

そうするとPCの電源を入れざるを得ず、そこからルーチーンが始まってしまい、結局何も為さなかったという事になる。

「これは罠だ!神が俺を陥れる為に仕組んだ罠だ!!」

と言いたい。言いたい。本当に言いたい。

ただ、本日の実験(朝からPCを入れず、まず日課を全部こなす)の結果、PCを入れる前に別の有意義な活動をしてしまうと「作業興奮」的な作用により、いつものルーチーンの報酬系より「やり遂げた」報酬の快感が上回ってしまい、今、こうやってブログを書いているというわけだ。

まぁ、ホント油断したり、ストレスかかるとすぐに元に戻ると思うけど、こうやってブログに書き残しておくのは、ある程度の抑止になるんじゃないかなと思ったりしてたりする。

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